出産で死にかけた⑤

相変わらず意識が消えたり、ふと戻ったり。唸り続ける私。そんななか、医師達は談笑していました。

A型は何か久しぶり~」(私はA型です)と、よく分からないのですが、凝固のしやすさ?しにくさ?・・・それぞれの血液型の特性について喜々として語っていて、そのあまりの緊張感のなさに「あぁ、山は越えたんだな」と思うと同時に「医療者としてどうなの」と疑問を感じてしまいました。あれだけの苦しみの渦中にいると、楽しげな雰囲気はとても複雑な心境になります。

パパが時系列メモを残してくれていて、22時頃から「子宮動脈塞栓術」を開始したことが分かりました。

これが本当に、本当に、本当にエグい痛さでした。

きっと、陣痛を経験して「痛み」に対して過剰な恐怖感を抱いてしまったため倍増しでキツかったんだと思います。

結局、止血までにした輸血量はなんと〈10000ml〉だったことが告げられました。

パパのメモによると、処置により出血が止まった後レントゲン室から分娩棟に戻り、更に翌日の夕方には相部屋の病室に移動していました。食欲がとにかくわかず、出された食事にはほとんど手を付けませんでした。(ザ・病院食でした)

驚くことに、自力で排泄できないのでカテーテルが挿さっていて、寝返りだって看護師さんに頼まないとできなかったのに、翌日(産後2日目)の退院を提案されました。何でも赤ちゃんのためにはその方が良いとのことでした。

そして来る退院日。診察により本格的OKが出て、出産した個人クリニックに戻ることになりました。

(入院費は50万円以上掛かりましたが、高額医療費制度により申請後全額払い戻しされました。)

私はやっとやっと、娘を抱っこすることができました。

「かわいい・・・」とただ一言。あの時の気持ちは忘れられません。

戻ってからも、輸血に伴う静注や点滴漬け、寝返りはもちろんちょっとした挙動でも切開部分に激痛が走り、ふくらはぎは酷くむくんで象のようになり、お腹はガスが溜まり臨月のように張って、おっぱいも痛い。まさにボロボロで、あの世にまだ片足を突っ込んでいるような気分でした。そんな状態で娘の世話もまともにできるはずがなく、看護師さんに任せてしまう日もあって本当に情けなく、悲しかったです。

毎回の豪華な食事も辛かった。ハンバーグ、エビフライ、パスタ。スープ。おやつも毎日あったかな。トラブルなく産めていれば、幸せご褒美タイムです。

食事が評判だということを聞いて病院を決めたくらいだったので、ショックが絶大でした・・・

配膳されてもテーブルの所に行くまでに数分はかかるし、そもそも食欲が全くなかった。書いていて心底悔しくなってきました(笑)

と、まあ、食事の話はいいとして。

数週間後、治療方針説明書や退院証明書などに目を通して始めて、私がDIC(播種性血管内凝固症候群)による出血性のショック状態だったことがわかりました。

DICは、「血栓が無数にできて、血液を固める凝固作用と固まった血液を溶かす作用が体中の血管内で同時に無秩序に起こり、結果的に大量出血が起こる」という病態のようです。

正直難しくて何が何だかよく理解できなかったのですが、これに陥ると死に至るケースが少なくないみたいです。

そりゃそうですよね・・・

こんな感じで三途の川をまさしく渡りかけていたわけですが、そのことに関しては割とポジティブに考えているのです。

「生かされた」「生かしてくれた」私が死ななかったことには意味があると思っています。

今、しっかりと生きて娘の成長を見守っていけることに、心から感謝しています。

出産はもう怖すぎて無理ですが(笑)

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